の中国の旅
孫呉勝山要塞の碑と兵舎跡
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◆ 旧日本軍の足跡を辿る,
孫呉・ハルビン・ハイラル
孫呉は関東軍の大きな駐屯地だったところで、一時は10万人が駐屯していました。周辺には記念館となっている軍人会館や抗日記念館のほか、空港、酒保、発電所、神社などの遺構が残っております。中心地であった北孫呉の街は、今は農家や農作物の倉庫などがあるだけですが、当時の建物の基礎がまだ多く残っています。郊外の山々には終戦時、侵入して来たソ連軍を迎え撃った香取山、二宝山等の陣地が多数あり、今でも塹壕跡やトーチカを見る事ができます。又、車で一時間弱のロシア国境を流れるアムール川の手前には、対ソ連用に造られた本格的な勝山要塞があります。博物館の他、地上に出た大きな兵舎跡や長い地下室、トーチカ、高射砲台などソ連との闘いに使われたままの、生々しいい姿を残しています。
ハルビン郊外には、有名な731部隊の遺構が残されています。広い敷地には記念館が立ち、部隊の所業や当時の状況を詳しく解説しています。その周りには修復された本部の建物や、日本軍が退去の際破壊した施設の残骸などが見られます。その中には毒ガス製造、貯蔵施設もあります。
ハイラルにも対ソ連用に造られた大規模な要塞が、保存状態よく残っています。以前のままの生々しい地下室内部を歩け、当時の様子が実感できます。そのほか、当時の物品や写真、ジオラマ等を見る事ができます。
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